笛吹市で博物館と歴史に触れるドライブコース|山梨県立博物館〜小山城〜経塚古墳〜国分寺〜甲斐国分寺跡〜釈迦堂遺跡博物館

山梨・笛吹市 博物館と歴史に触れるドライブコース

こんにちはYOKKO(よっこ)です。

山梨県・笛吹市といえば、桃・ぶどうで有名ですが、
地図を眺めてみると古墳や遺跡が結構あることに気がつきました。

そして笛吹市内に2つも博物館があることを発見!

YOKKOは歴史や考古学が大好きです。
できることなら考古学の道に進みたかったくらいでした。

外出がままならない今の時期、
ぶらり旅気分で手軽に歴史に触れてみませんか?
石和温泉に宿泊した際にもおすすめです。

今回、2つの博物館とその近辺にある古墳や
文化財などを巡るドライブコースマップを作ってみました。

YOKKO

こちらは1日にかけて回るくらいのボリュームのあるドライブコースです。

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目次

笛吹市で博物館と歴史に触れるドライブマップ

スタート地点は「石和温泉駅」を想定しています。

YOKKO

今回は冬に訪れていますが、経由地は桜の季節だともっと景色を楽しめます!

山梨県立博物館の外観B. 山梨県立博物館小山城跡の虎口C. 小山城跡経塚古墳の正面D. 経塚古墳
国分寺鐘楼門E. 国分寺甲斐国分寺跡碑石F. 甲斐国分寺釈迦堂遺跡博物館の外観G. 釈迦堂遺跡博物館



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自然と文化、定期的に行っても学びがある山梨県立博物館

山梨県立博物館は、2005年(平成17年)10月15日の開館で、
愛称は甲斐とミュージアムをかけた「かいじあむ」。

山梨県立博物館の外観
山梨県立博物館の外観

基本テーマは「山梨の自然と人」。

自然系展示と歴史系展示があり、展示や資料の収集、調査研究・社会教育活動を
継続的に行なっているとのこと。

探訪レポート

訪れた時は、企画展「曽我物語図屏風」が開催されていました。

「曽我物語図屏風」パンフレット表面
「曽我物語図屏風」パンフレット表面

建久4年(1193)、源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、
曽我十郎祐成(すけなり)・五郎時致(ときむね)兄弟は、父の仇を討ち本懐を遂げました。

この出来事は謡曲や浄瑠璃、歌舞伎、絵入本や絵巻など芸能の題材となっています。

今回この企画展では、山梨県立博物館所蔵の2組の「曽我物語図扉風」を中心に曽我兄弟に
関する資料が公開されていました。

何と言っても、みどころは2組の「曽我物語図扉風」。

しかも、修復後の初公開だったようです。
どちらも江戸時代に制作されたようですが、描き方が違う部分があり、
このパンフレットを見ながら違いや表情などを間近で見られました。

葛飾北斎の「富嶽百景」も見ることができました。

「曽我物語図屏風」パンフレット裏面
「曽我物語図屏風」パンフレット裏面
YOKKO

企画展は1〜2ヶ月で変わるようです。
変わる度に行くのも楽しみです。

常設展示は、原始時代から現代までの時系列に沿った展示で縄文遺跡から
戦後の人々の暮らしなどはジオラマで確認することができます。

山梨県立博物館のパンフレット内の常設展示の案内
山梨県立博物館のパンフレット内の常設展示の案内

展示スペースは撮影禁止のため、入り口や入り口前の展示のみの写真になってしまうのが残念です。

展示品は多数あり、非常に見応えがあります。

山梨県立博物館の常設展示入り口前
山梨県立博物館の常設展示入り口前

江戸時代にはマグロを運び、マグロが食べられていたことがわかる痕跡の骨が出土されていました。

山梨県民はマグロ好きで、マグロの消費量は全国1なのだそう。
これは、江戸時代がルーツなんだなぁとわかりました。

縄文弥生時代から古墳、国府、甲斐源氏の家系図、武田家、
水害からくる治水に関する取り組み、近代と広範囲に渡っています。

訪れた時は、令和3年12月15日〜令和4年2月14日までのテーマ
「招福!かいじあむのお正月」が開催されておりました。

限られた期間だけでみることのできる「甲府道祖神祭幕絵 東都名所 目黒不動之瀧」という大きな幕絵。

なんと初代歌川広重が、天保12年(1841)甲府の緑町一丁目(現在の甲府市若松町附近)に招かれ、
甲府道祖神祭のために制作の幕絵。
山梨県指定文化財なのだそう。

これの実物がみられました!

甲府道祖神祭幕絵 東都名所 目黒不動之瀧
甲府道祖神祭幕絵 東都名所 目黒不動之瀧
引用:山梨県立博物館ホームページ
YOKKO

この幕絵は毎年年明けから2ヶ月ほどの展示になるそうです。

他にも上杉家の重臣直江兼続が市河長寿麿に送った、年頭祝儀に対する返礼の書状の展示など
テーマ合わせて展示物が変わるようです。

行ってみてラッキーだったのは…

甲斐源氏の祖、源義光が着用したと伝えられ、武田家歴代の家宝として受け継がれてきた
楯無鎧
(たてなしのよろい)
のレプリカ。

こちらは普段常設展示室内にありますが、この期間は展示入り口に配置されておりました。

この鎧は、楯無鎧(たてなしのよろい)と言われ、実物は江戸時代に流行した柄に修復されているとのこと。

この鎧はレプリカですが、鎌倉時代に流行していた柄(写真中A)を再現したとのことで、
武田信玄もこれに近い形の鎧を付けていたのではないかと推測される
のだそうです。

小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元)
小桜韋威鎧 兜・大袖付(復元)

この鎧は正式名称を小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい)といって、
小桜があしらわれ(写真B)鹿皮が使われています。

小桜韋威鎧は、常設展示内に戻った際には写真撮影は禁止

このように常設展もテーマに合わせた展示物があるので、定期的に訪れても学べて楽しめる内容になっています。

YOKKO

山梨には「印伝(いんでん)」という鹿皮を使った革小物などを製造する技術が伝えられてきましたが、この時代がルーツになっているのですね。

基本情報

住所山梨県笛吹市御坂町成田1501−1
電話番号055-261-2631
開館時間9:00〜17:00
定休日火曜日
火曜日が祝日の場合は開館し、翌日の水曜日が休館
祝日の翌日
土曜日が祝日の場合、翌日の日曜日は開館
12月29日~1月1日
※臨時開館・臨時休館の場合もあり。 
駐車場乗用車180台
公式サイト山梨県立博物館ホームページ

入館料
小学生・中学生・高校生・特別支援学校の児童・生徒並びにこれらに準ずる方は、常設展・企画展とも無料。

団体割引
(20名以上)
宿泊者割引
(※2)
免除対象者
(※1)
一般520円420円0円
大学生220円170円0円

※1 次の方は常設展の観覧料が免除

  • 65歳以上の方
    (山梨県内にご在住の65歳以上の方は、企画展についても観覧料が免除)
  • 障害者基本法第2条に規定する障害者の方及びその介護をされる方

※2 県内のホテルや旅館等に宿泊された方が対象

YOKKO

石和温泉のホテルや旅館だけなく、山梨県内のホテル・旅館に宿泊でも割引対象は嬉しいですね。

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土塁・空堀がしっかり残っている小山城跡、桜と桃の季節はさらに見応えあり

築城年代は不明。
河内領主・穴山氏の一族である穴山伊豆守が在城していたとみられます。

小山城跡の虎口
小山城跡の虎口

虎口の右側に門の礎石とトイレがあります。

門の礎石と後ろにある小屋はトイレ
門の礎石と後ろにある小屋はトイレ

探訪レポート

この礎石横に小山城の案内板があります。

小山城の城主や出来事は、この案内板から読み取ると以下のようになるかと思われます。

宝徳2年(1450年)、穴山伊豆守が在城していた。
穴山伊豆守は小石和の武田信重館を攻めていたこともあった。

永正の頃(1504年)穴山伊予守信永が在城し、永正3年(1523年)3月に、鳥坂峠を越えて侵入してきた
南部下野守と花鳥山で戦ったあと小山城で防戦したが敗退し、
信永は常楽寺(現在の笛吹市御坂町二ノ宮)に落ち延びた。

城は南部氏に守られていたが、天文17年(1548年)、
武田晴信(武田信玄)の為罪(今でいう恩赦?)を得て城を捨て廃城となった。

天正10年(1582年)甲斐国争乱が起きた際には、御坂城の北条勢に対時する徳川家康は、
鳥居彦右衛門にこの城を修築させ、騎馬1120、雑兵600人をもって守らせたと伝えられる。

小山城跡の案内板
小山城跡の案内板

面積122.046平方mあるとのこと。
真四角な城跡で周囲を高さ3~6mくらいの土塁、外側の全周囲は幅5m以上の空堀で囲まれている。

西南東を空堀で区切り、北側は横堀の形態かと思われる。

南側は道路から中に入れるように崩されたと見られます。

小山城跡の土塁
小山城跡の土塁
小山城跡の空堀
小山城跡の空堀

城の中は、平らな土になっており時期によっては、運動場として利用されています。

小山城跡の中
小山城跡の中

土塁や斜面は桜があり、3月下旬から4月上旬の桜の季節には見事な桜がみられます。

桜が咲く小山城跡の中(2019年4月撮影)
桜が咲く小山城跡の中(2019年4月撮影)

西側では見晴らしがよく、甲府盆地を見ることができます。

甲府盆地が一望できるため、軍事的に重要な城だったようで、黒駒合戦はこの城の北東で行なわれたとのこと。

小山城跡の西側土塁から見た甲府盆地
小山城跡の西側土塁から見た甲府盆地

駐車場は虎口の前に、3〜4台置けるスペースがあります。

小山城跡の虎口前の駐車スペース
小山城跡の虎口前の駐車スペース

駐車場と虎口へ行くルートが少しわかりにくいです。
以下写真の右側に続く細い道になります。

小山城跡の虎口前と駐車スペースに向かう道
小山城跡の虎口前と駐車スペースに向かう道

こちらもtwitterでの口コミはどうなのか調べてみました。

https://twitter.com/yotuhayotuha/status/1472114514003136513
https://twitter.com/Garyushim/status/1245648585401577472
YOKKO

桜と桃、菜の花が咲く4月は花見もできそうです。

山梨県立博物館から「小山城跡」の途中に、「クロワッサン」食べ比べマップで紹介した
パン工房「ぽこ・あ・ぽこ」さんがあります。
こちらに寄ってから行くのもいいかもしれないですよ。

基本情報

住所山梨県笛吹市八代町高家
電話番号なし
開館時間なし
定休日なし
駐車場3〜4台駐車可能

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経塚古墳は日本でも数少ない貴重な古墳

金川の森は、金川の河沿いにある森林公園です。
公園はどんぐりの森・スポーツの森・かぶとむしの森・ふれあいの森・さくらの森の5つの種類に分かれており、
それぞれテーマがあります。

経塚古墳は、どんぐりの森にあります。

経塚古墳は森林公園金川の森 どんぐりの森にある
経塚古墳は森林公園金川の森 どんぐりの森にある

他にもスポーツの森には、竹原田古墳群、四ツ塚古墳があります。
こちらも時間があれば寄ってみてもいいかもしれません。
(ただ土が盛ってある程度なので、見どころがあるとは言い難い…)

探訪レポート

経塚古墳は、八角墳(はっかくふん)という八角形で全国でも数少ない形のようです。

経塚古墳は八角墳(はっかくふん)
経塚古墳は八角墳(はっかくふん)

経塚古墳は、古墳時代終末期 (7世紀前半)に造られたものとのこと。

この地方の有力者を埋葬したお墓と考えられているようです。

経塚古墳の説明書き
経塚古墳の説明書き

八角形墳の意味として、古墳時代の終わりごろ(7~8世紀)
中国政治思想や仏教思想などの影響を受けた
のだそうです。

奈良県や京都府の天皇陵と考えられている5例を含む10数例しかないとのこと。

経塚古墳の正面
経塚古墳の正面
YOKKO

お金持ちだったのでしょうか…
近隣の古墳とも違うので、どんな人だったのか気になります。

玄室には鉄の網があり入れませんが、スマホを入れて内部を撮影してみました。
それほど大きくないですが、しっかりと石が組まれています。

経塚古墳の玄室の様子
経塚古墳の玄室の様子

経塚古墳の近くには、「森の泉」があります。
また少し高くなった場所があり、「経塚古墳」と「森の泉」を少し上から見ることができます。

森の泉
森の泉

駐車場は、森林公園金川の森の駐車場が利用できます。閉門は17時

森林公園金川の森の駐車場
森林公園金川の森の駐車場

こちらもtwitterの口コミを調べてみました。

https://twitter.com/CLingzhao/status/1330297762857054210
YOKKO

やっぱり八角墳が珍しいというコメントがあるようです。

基本情報

住所山梨県笛吹市一宮町国分1124−8
(森林公園金川の森 どんぐりの森)
電話番号055-347-2805
(森林公園金川の森)
開館時間基本なしですが「森林公園金川の森」の中にあるため駐車場利用の場合は、9:00〜17:00まで
定休日なし
駐車場約30台くらい入るかと思われます

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笛吹市指定文化財の国分寺は威厳のある寺院

細い道を通っておくと、畑の中に立派な囲いのある寺院が突然現れます。

甲斐国分寺に向かう細い道
甲斐国分寺に向かう細い道

甲斐国分寺は、臨済宗妙心寺派の寺院。
山号は護国山。本尊は薬師如来で、笛吹市の指定文化財です。

奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、甲斐国分寺の後継。

近くには、国の史跡に指定になった甲斐国分寺跡・甲斐国分尼寺跡があり、
旧国分寺跡を発掘し保護するために現在地に移転・移設されたそうです。

甲斐国分寺の案内看板
甲斐国分寺の案内看板

探訪レポート

鐘楼門は、楚鐘(ばんしょう)の銘文から寛延3年(1751年)頃とされているようです。

国分寺鐘楼門
国分寺の鐘楼門

移設されたためか薬師堂、本堂、庫裏、全体的にコンパクトにまとまっている感じです。

国分寺の様子、奥が薬師堂、手前が庫裏
国分寺の様子、奥が薬師堂、手前が庫裏

本堂は、寄棟(よせむね)造りの建物。

寄棟造とは、建築物の屋根形式のひとつで、4方向に傾斜する屋根面をもつものをいう。
出典:wikipedia

旧来の本堂の屋根は茅葺でしたが、移転・修復に伴って、茅を模した銅板葺として整備されたとのこと。

楚鐘の銘文から元禄年間(1688〜1704年)に建立されたと考えられているようです。

国分寺の本堂
国分寺の本堂

薬師堂は、楚鐘の銘文から明暦2年(1656年)に建立されたとのこと。

移築前は、柱の位置を移し替えるなどの大規模な改築により、建物の規模が
拡張されていたそうですが、移設・修復の際には、建築された当時の平面規模に復元されたようです。

国分寺の薬師堂
国分寺の薬師堂
YOKKO

とても立派な威厳ある由緒正しい寺院を感じさせます。

駐車場は、入り口から鐘楼門前に7〜8台止められそうなスペースがあります。

国分寺の入り口、駐車場の様子
国分寺の入り口、駐車場の様子
YOKKO

やっぱり周囲が桃畑なので、3月下旬〜4月上旬の桃の花の咲く時期に訪れたいですね。

YOKKO

庭園は鐘楼門入って右側にあります。
YOKKOが訪れたときは2月なので花は見られませんでしたが、庭園は秋の花が見頃のようですね。

基本情報

住所山梨県笛吹市一宮町国分196−1
電話番号055-347-0902
開館時間9:00〜17:00
定休日なし
駐車場約7〜8台くらい入るかと思われます

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かつては甲斐国の中心だったと感じさせる甲斐国分寺跡

甲斐国分寺は、聖武天皇によって天平13年(741)に全国に建てられた国分寺の一つ。

甲州街道の方に少し行けば、甲斐国分尼寺跡もあるので時間があれば、併せて訪れてみてもいいかもしれないです。

甲斐国分寺跡碑石
甲斐国分寺跡碑石
甲斐国分寺跡について書かれた碑石
甲斐国分寺跡について書かれた碑石

平成21年3月の案内版の記載では、古代の国分寺は建長7年(1255年)に焼失し、
戦国時代に武田信玄によって再建されたようです。

甲斐国分寺跡の案内版
甲斐国分寺跡の案内版

探訪レポート

甲斐国分寺は、南北330メートル、東西220メートルの築地塀と溝に囲まれた範囲に広がっているのだそうです。

これでいう築地塀も一部残っていると見られます。

甲斐国分寺跡の築地塀と見られる石垣
甲斐国分寺跡の築地塀と見られる石垣

七堂伽藍や塔跡・講堂跡などの礎石があり、その予想図から当時の建物の壮大さを感じます。

甲斐国分寺復元想定図
甲斐国分寺復元想定図
YOKKO

移転された国分寺より4倍くらいの広さではないかと感じます。

正門から中門は、寺院中心部を囲む回廊内に入るルート。
回廊とは寺院の主要な建物を廻るように造られた回り廊下のことのようです。

甲斐国分寺跡の伽藍は、南から南門(正門)、中門、金堂・講堂が一直線上に並んだ造り。

甲斐国分寺跡の正門、参道の奥には中門がある
甲斐国分寺跡の正門、参道の奥には中門がある

中門からは東西に回廊が延び、回廊はコの字型になって金堂の両脇につながっていたと見られるようです。

甲斐国分寺跡の回廊跡?
甲斐国分寺跡の回廊跡?

金堂には、本尊の釈迦如来が、安置されていたそうです。

金堂の北側には経典の講読をする講堂、僧侶たちの宿舎である僧房があり、
金堂・講堂の両脇には鐘楼(しょうろう)・経楼(きょうろう)があったと推定されているようです。

甲斐国分寺跡の金堂跡
甲斐国分寺跡の金堂跡

回廊内の東端には国分寺のシンボルと言える塔が、建てられていたと見られます。

甲斐国分寺跡の塔跡
甲斐国分寺跡の塔跡
甲斐国分寺跡の塔跡の穴もクッキリ
甲斐国分寺跡の塔跡の穴もクッキリ

発掘・修復作業はまだまだ途中のようで、ブルーシートがかかっている箇所もいくつかありました。
今後、新たな発見があることが期待できます。

YOKKO

実際見てみると、住宅や畑がすぐ側にあり、
よくここまで残っているなぁという感じです。

駐車場は案内板が出ているのでわかりやすいですが、ラインなどはない原っぱのような感じです。

甲斐国分寺跡の駐車場
甲斐国分寺跡の駐車場

こちらもtwitterの口コミを調べてみました。

基本情報

住所山梨県笛吹市一宮町国分427−1
電話番号なし
開館時間なし
定休日なし
駐車場約10〜15台くらい入るかと思われます

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多数の土偶・土器で見応え抜群の釈迦堂遺跡博物館

釈迦堂遺跡博物館は、縄文時代中期の土器や土偶など5,599点の国指定重要文化財
収蔵・展示する博物館です。

釈迦堂遺跡博物館の外観
釈迦堂遺跡博物館の外観

土偶や土器を様々な角度から見学することが可能。

しかも常設・企画展示ともに写真撮影はすべてOKなんです。

釈迦堂遺跡は、昭和55年2月8日から翌56年11月15日で、中央自動車道建設に
先立って延べ2万人以上の人々が参加して発掘調査されたそうです。

調査の結果、旧石器時代、縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代の住居や墓、
および大量の土器、土偶、石器などが発見されたのだそう。

YOKKO

その量はなんと30トン!
こんな多数発掘されるなんて、びっくり。

1988年に、これら釈迦堂遺跡から出土した資料を展示・収蔵する釈迦堂遺跡博物館が開館。
2020年6月21日に「土偶の聖地と土器の森」を展示のコンセプトとして整備され、リニューアルされました。

探訪レポート

訪れた時は、Dogu360° -峡東の土偶- という企画展が開催されておりました。

Dogu360°のパンフレットと土偶の出展リスト
Dogu360°のパンフレットと土偶の出展リスト

釈迦堂遺跡のある甲府盆地の東側は、峡東地域と呼ばれています。
笛吹市、甲州市にあたります。

釈迦堂遺跡からは1,116点の土偶が出土
笛吹市の桂野遺跡・甲州市の宮之上遺跡、それぞれ100点を超える土偶が発見されているのだそう。

企画展Dogu 360°の展示の様子
企画展Dogu 360°の展示の様子

笛吹市中丸遺跡からは、現在東京国立博物館に所蔵されている黒駒土偶が出土しているのです。

No.48 笛吹市御坂町 中丸遺跡から出土した黒駒土偶 (現品は東京国立博物館のため複製)
No.48 笛吹市御坂町 中丸遺跡から出土した黒駒土偶
(現品は東京国立博物館のため複製)

土偶は、一点一点まったく違う姿・形。
なんとも味わい深く芸術性を感じてしまいます。
なかでもYOKKOが気になったのは、こちら。

No.5 笛吹市御坂町 桂野遺跡から出土した顔の土偶
No.5 笛吹市御坂町 桂野遺跡から出土した顔の土偶
YOKKO

髪の毛がウェーブ、口をポカーンと開けて可愛いらしいです。

土偶はなぜ造られたのかについて諸説あるそうです。

その姿はおもに妊婦の姿をしていることから、女神像として生まれてくる命の健やかな成長や
豊穣を願ったという説が有力とのこと。

土偶に秘められた願いについて
土偶に秘められた願いについて
YOKKO

いつの時代も生まれてくる子の健やかな成長を願う親の想いは変わらないですね。

他にも土偶の作り方や年代ごとの土偶の変還、土器の移り変わりなど非常に見応えがあります。

土偶の変還
土偶の変還

展示スペース奥にはずらりとならんだ土器は圧巻です。

展示スペース奥の土器
展示スペース奥の土器

博物館の裏手には縄文体験住居と釈迦堂遺跡群として住居址があります。

縄文体験住居
縄文体験住居
釈迦堂三口神平地区の中期前半の住居址
釈迦堂三口神平地区の中期前半の住居址

釈迦堂遺跡博物館の建物までは笛吹市で釈迦堂遺跡群はお隣の甲州市になっているんです。
ちょうど境目なのですね。

駐車場は博物館入り口側にあります。
中央自動車道釈迦堂P.Aの下り線専用階段から入ることもできます。

中央自動車道釈迦堂P.A下り線専用階段
中央自動車道釈迦堂P.A下り線専用階段

twitterの口コミにはどんなものがあるか調べてみました。

基本情報

住所山梨県笛吹市一宮町千米寺764
電話番号0553-47-3333
開館時間9:00〜17:00
(入館は16:30まで)
定休日火曜日(祝日を除く)、年末年始
祝日の翌日(土日を除く)
※臨時開館・臨時休館の場合もあり。
駐車場30台くらいは駐車できそうなスペースがある
公式サイト釈迦堂遺跡博物館ホームページ

入館料

通常料金団体
(20名以上)
一般・大学生400円200円
小中高生320円160円
  • 笛吹市または甲州市内に居住する小中学生と保護者または引率者1名は無料
  • 笛吹市または甲州市内に居住する障害者基本法第2条第1号の規定に該当する方と介護者1名はそれぞれ半額。
  • JAF会員は団体料金の適用

※上記の割引制度を利用する方は、証明書(免許証・手帳等)の提示が必要



【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!

まとめ

山梨県立博物館と釈迦堂遺跡博物館と経由地として小山城跡、経塚古墳、国分寺、甲斐国分寺跡を巡りました。

笛吹市に、こんなにも古墳や遺跡があるなんてびっくりです。
どこも見応えあって、学びと発見があります。

笛吹市は、桃とぶどうだけでなく、遺跡や古墳もすごい!

3月下旬から4月上旬の桜と桃の季節にも巡ってみると花見もできそうです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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